毎週楽しみにしてたけどもう終わるのかぁ…
Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀2 12話 「追命靈狐」
婁震戒はガチのナルシストだったのか…姫~姫~(オタサーの姫?)七殺天凌はツンデレ…案外相性は良いのではないか?
諦空魅了にかかって無かったんかいな…?
魅了にかかってないって所が肝な気がする…
この作品は何を伝えたいか?考えると勉強になると思ふ…
個人的意見?で引っかかったのは(苫米地博士の鼎談の動画でみた、オウムだっけ?)諦空って仏教の空観しかなかったのかな?
意味、美ってのも引っかかる(剣の特性)
導いてくれる友や師匠がいれば、こうはならなかった”かも”しれない。
↑引用文 消えると困るので…書いておく。
ちゃぶ台とダイニングテーブルがあったときに、私たちは「机だ」といって安心していられる。ダイニングテーブルを見て「謎の物体だ!」とパニクったり、その上で踊りだしたりしない。なぜなのか?
立場1)「机」という意味=概念、いわば純然たる「机」性みたいなものが、どっかに独立して存在する。
立場2)そうではなくて、あるとき設定された、自分との関係が固定化されるだけ。机の上に乗って踊ると親に怒られたりして、これはメシを食うか物を書く場所らしいと知り、それを「机」と呼んでおく。
たぶん、言葉についてはこういう議論がずっとあったのでしょう。それで、立場1)に近いのが空海さん立場2)に近いのが龍樹さんだというのが、(たぶん)南さんのお話であった。
資料に、空海の『声字実相義』の引用がいっぱいあったのだが、空海の偈はこう。「五大に皆響きあり 十界に言語を具す 六塵悉く文字なり 法身は実相なり」これを空海自身が解釈する。その解釈の一文を引くと、「名の根本は、法身を根拠とす。彼より流出して稍く転じて世流布の言と為りまくのみ」。
なんかね、大日如来からバーッと言葉が飛び散って、意味が屹立して、それが世界だと。言葉は実在であって、世界そのものであると。
一方で龍樹は、「机」って括りは、たまたまでしょ、と。冬に大地震が来て寒ければ燃やして「薪」になるでしょ。意味が固定化されてない子猫は、机に乗るし爪も研ぐ。そういうわけで、言葉=私たちが世界だと思っているものは、
龍樹いわく「我々は縛られている!縛られている前提で考えろ。縛りを解除することだってできる」っていうのが「空」。
空海いわく「すごいステキな縛られ方があるから、ずっと縛られてろ。そしたら救われるよ」
空海したたかですな…w
これ機能と構造の事言ってるのかなぁ?わからん…?
現象はバラせないよね?走ってる自動車の運動エネルギーとか取り出して差し出せって言われても、無理じゃん…(例えがおかしいか?俺をはねろ!って事じゃないよw いや、それ俺死ぬからw)
殤不患は将帥の心得もあるってチートキャラw
Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀2 11話 「悪の矜恃」
凜雪鴉は人観る目無いねぇ…w ざまぁ…!w
Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀2 05話「業火の谷」の終わりはカッコよかった。
熱くなったなぁ!w
僕にとって、新しいヒーローだな…
最終回見終わってからこれブログに上げようと思ったけど、いいや!
追記すればいいし…
Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀2 13話(終)「鮮血の恋歌」
七殺天凌に対抗するのに喪月之夜を使うのは、そう来たか!ってなった。
道具に使われる側か、使う側になるか?
身の丈に合う道具を使っているかというと現代は身の丈以上の道具に囲まれていると思ふ。
婁震戒は意味を得たのに対して、七殺天凌は意味を見失いかけてるのも面白い。