難しい事は難しく、簡単な事は簡単に説明する。
何でも難しい事を簡単に説明するのは違うかもしれない。
逆に簡単に出来る事を難しく説明するとか…
方便で使う人もいるのは仕方ないか…
自分が採譜する時、難解高尚だからと偏見を通してる時がある(偏見って言っていいのか?)
感情を操作?導き方を上手くやればいいのだが、感情って生きてるから動くものを扱うのは大変。
多量の情報&状況&環境、文脈によって文章の受け取り方が変わるから(恣意性?)なかなか複雑…
僕が情報を理解する時は要点を決めて(フィルターかけて)理解する。
思いやり?本当は相手の立場になって考えるのが大事(演者、役者、俳優は得意なのか?)
時間は有限なのでどこかで区切らないといけないから、そこに好き嫌い(バイアス、偏見、フィルター)をかけざるを得ない。
AI?コンピュータにやらせるのが難しいのは、その趣味?(好き嫌い)をどう作るか?って聞いた事ある…
文章書く時、ぼんやりと完成形が脳内に在って存在の導線にそって書く。
今はそういう書き方してないねw
箇条書き的な書き方してるわ…
このブログも相手に伝わる様にとかじゃなくて、自分がわかる様に書いてるから、端的に言うと自分が理解できれば良いという書き方…w
相手の事を考えるのに何が良いのか?と振り返ると、自分の中にノイズ(異物)を入れる事で視点&立ち位置を変えさせる役目を果たす気がする。
観え方が変わると言葉も変わるし世界も変わる。
俺たちのフィールドで「信じる力は超能力!」ってあったの思い出したけど、そうかもしれんね…(能力を超える)
何でこのタイトルでブログ書こうと思ったのかは、前のブログで書いたモニター買う時に店員さんに要求を伝える難しさを実感したのとjazzや難曲を採譜する時に「難しい…」と感じるのは良いとしてそこから先の可能性を潰す感情を乗り越えたい動機で書いたのかな?
担当医に自分の病状を伝えるのにも役立つよね…
今ブログ書くのは訓練みたいなもんだ…
IQテストの結果紙(WAIS-Ⅲ)に、言語性>動作性、言語能力は優れている。
しかし社会のルール、一般的知識についての理解が不十分。だから社会生活送るのに困難を生じやすい。
動作性能力は平均値。
各項目で能力のばらつきがあり、作業の処理能力も得意不得意で差が出やすい。
視覚認知の記憶に関わる「完成」が低い、物事の観察力が弱い。
対人場面の理解に関する「配列」もやや低め。
しかし断片的な視覚情報を全体像として推理しまとめる能力は優れている。
聴覚系の情報の記憶と処理は平均より高い。
聴覚情報処理>視覚情報処理
検査を通して、初めて行う課題に対し緊張もあるのか点数が低めであった。
新しい環境や課題には躓きやすい傾向がある。
↑一種の個人情報だよね?
バックアップで知能検査の結果をブログにコピーしとくか?
↑は自分で部分部分変えて書いてるから…
これは大体あってる。
知能検査する人ってすごいね…結構当たってるわ…