けいのブログ

自分のTwitterで呟いた事&日常生活&治療、趣味で考えている事をまとめる。自分が見る専用のメモ帳、日記みたいな使い方 基本ひきこもり

超越物、神について自分の思う事

 

 

投稿日時2017/8/27 6:39:56

簡単に書くと、「自分が創造&理解できない物」、かな?

 

人間にとって都合の良い神と悪い神を分ける(理解可能な存在)一方、

神の事は人間にはわからない(理解不可能な存在)のだ、という矛盾がある。

 

ユダヤ、キリスト、イスラム教で納得でき無いのは、本当に預言者は神の啓示を受けたの?その証拠はどこにあるの?神いる証拠は何?という事です。

世間の空気、社会でそう言われてるからそうだ、と言われても納得できない。

まぁ、ここに触れるのはタブーなのかもしれないが、でもそうでしょ?

宗教は教養、学問、思想、生き方として見ると大変勉強になります。

今も勉強不足だし、勉強する事は終わらない避けられないと思います。

だけど僕はユダヤ、キリスト、イスラム教の神を信じる事は難しい。

信仰してる人は神がいなかったらどうするんですかねぇ?

下手すると発狂するよ。

 

仏教は神はいないっていってるんだっけ?

絶対不変なものはない。だっけ?

これはどう意味を捉えるかですね。

僕らが考えてる神(理解可能な存在)はいない。というならわかる。

でも、本当に「絶対不変なものはない」と証明できるか?

諸行無常も変わるかもしれないし…(絶対不変なものはあるかも?)

僕らが認識できないだけで「神」みたいな存在がいるかもしれない。

それか「諸行無常、万物流転」を神&超越物と捉えるか?

お釈迦様が死後の世界については沈黙、無記としたのと似てるか?

読んでてまとまらないなぁw

 

確かなものを信じるなら、論理的に攻められても崩れないものじゃないと危ない。

さっき書いたけど、下手すると発狂する。

 

以前にバカについてブログ書いたけど、

「僕は知識は人生を豊かにするための道具なのかなぁと考えます。

地球は丸いと言われているしわかってる”が”、個人的な信仰&生き方であえて俺は地球は四角いと言うのだ!とするのはアリだと思います。(それを皆に押し付けるのは駄目)」

 

神が有る場合、無い場合と両方考えておけば、まぁ安心できるんじゃない?

 

最初で書いたのと逆に

「自分が創造&理解でき”る”物」=神、超越物でも、僕には何の問題もない。

「あっ、そう?」で終わり、ただ僕は個人的な感覚で嫌なだけ…

 僕にとっては最初に書いた通りです。

そうすると僕の周りは、神や超越物だらけですよ。

僕自身もそうだね。自分の身体がどうなってるかなんてわからんw

あれ?そうなると僕と神、超越物がつながるなぁ。

何故、僕が神や超越物を考えるのかは、「自分が不完全な存在と認識する」所から始まる気がする。

 

養老さんの本に書いてあった事

・楽をしたくなると、どうしても出来るだけ脳の中の係数を固定化したくなる。
 それは一元論のほうが楽で、思考停止状況がいちばん気持ちいいから。

・現実のディテールを「わかる」というのは、そんなに簡単な話でしょうか。
 実際には、そうではありません。
 だからこそ人間は、何か確かなものが欲しくなる。そこで宗教を作り出してきたわけ です。

・言葉は現実を切る。

これわかります。原理主義とかこれなのかな?

 

 

 以前ブログに書いた文章

精神的に安定した生活送るには自分以上の超越物を置くと良い気がする。(自分の場合はそうです)簡単に言うと、人間が神(完全情報体)になると問題が無くなる。問題が人間の生きる強度や意味を与える気がする。それが無くなるという事はある意味「死」みたいなものなのでは?

神、超越物になるというのは「死」なのではないか?と個人的に思ってる。

だから人間は構造上、無意識的に不完全に成るように、敢えて成ってる様な気がする。

問題を解決したい一面と問題が無いと駄目な一面、混乱してきた…

問題がある(人間)、問題が無い(神様、完全情報体)

みたいなもんか?もういいや…、これでw

わからない事があってもいい。

100年カレンダーで自殺する人が出たってのはわかって無い事、未来(どうなるか分からない)が現在(わかる)になったからじゃないかな?

 

 

これは証明しようがない。僕の個人的な意見偏見妄想です。

 

神様がいるなら会ってみたい気もするが、触らぬ神に祟りなしっていうし、

祟り - Wikipedia

祟りって人間の解釈だからなぁ。

人間にとって良い事悪い事で分けてるだけの気がする。

と考えると都合の良い考えですね(僕はそんな簡単に割り切れる物ではないと思うけどなぁ…)

僕は神様に対しては畏怖、恐れと尊敬はあると思う。

まぁ、あんまり言葉にすることでは無いのは確か。

人生に関わるから。

 

 

ブログの下書きで「在る と言う事に反応する時」を書いてる。

icchiku1783.hatenablog.com書きました。

ヤハウェ - Wikipedia

海外、キリスト教YHWHって発音できないけど、日本語で発音できない言語ってあったっけ?ひらがなカタカナは発音できるよね…

日本語には子音が無いのではないか?(ローマ字にはあるけども…)漢字とアルファベットの共通性は何じゃ?…

言語の性質によって適している領域というのはある気がする。

アルファベットは数学、一神教に親和性が高いとか…

 

 

 

言語の限界で神について記述するのは無理という見解なのかな?僕は。

そして、僕が身の丈を超えて過剰に知識を収集したがらないのは完全情報体に成りたくない、それが怖いから。

知るというのが怖い。

伊達に精神科に通院してるわけじゃないからなぁ…苦笑

考える事って危ないよね…

1:47将棋の羽生さんだっけ?集中し過ぎて戻ってこれなくなるんじゃないか?って思ったって書いてたの。

www.youtube.com

 

僕は誰かを否定したくて書いてるわけじゃなくて、とりあえず頭の整理をしたい、情報過多社会の護身術?身を守るのに書いてるのか?

単純に書くのが楽しいから書いてるだけかもしれない。

僕の書く事は真に受けないでくださいね!(責任はとれません)

さっきも書いた個人的な意見偏見妄想ですから…

人を導くとかそういう高尚な事は考えてません!

目立つ事は僕多分性格的に向いてない…

 

 

今ふと思い返すと、子供の頃は神社の中で遊んでたもんなぁ…(田迎神社)

神道って7歳までの子供を神様って見てるのではなかったっけ?

田迎神社は良い所でした。

公園もあるし、空気が美味しい…