これは端的に書くと、位置や見る距離感が変わるので、そりゃ距離が変わったら見方も変わるという当たり前の話だけど、その当たり前がわからない?不動、現状維持だとわからない。疑問に思わない人間の脳の手抜き感…
消費者側が見る夢と生産者が見る夢?は違う…声優さんの本読むとそう思ふ(僕は役者には絶対向いてないし成れない成りたくない。無理…w 嘘つくのが下手くそ!)
同じ見るでも視覚的なモノから言語的なモノまで、幅広い。
心とか魂とか自然とか生活とか色々…
目から入って中で増えたり減ったり動いてイメージが変化する。
時代性を見るとか抽象的かと思いきや具体的?
そこら辺の動的な波に乗ったのが鬼滅の刃なのかなぁ…
時代って生き物だから…
動くモノを視覚で見る、認識するって解像度上げると情報量が多過ぎて処理しきれんだろ。
芸事で技術が上がっても気持ちに来ないとかこういう落とし穴(生き物を扱う難しさ)がありそう。
流行り物うんぬんかんぬんは過去のブログに書いてるか?
織田哲郎さんの記事の波乗りの例え…
あとはブーム?起こすなら洗脳方法?の要点を押さえれば出来そう…(できるかな?)
適切な距離感に受け手を導く人が洗脳に長けてる人?これは芸術家、金稼ぎにも言える?
トレランス(許容範囲、加減)、操作に長けてる人。
まぁ作り手、受け手、世間、環境は常に動くのでそれを捉えるのはなかなか難しい。
コロナウィルスがここまで流行るとは去年の今頃は考えて無かったはず…過去のブログ見返せばわかるかな?
WAISⅢの検査結果で視覚情報処理が僕は弱いらしいので、視覚系に関して何か発見?気付き?があったらメモする(ブログに書く)ようにしてる。
久しぶりに過去のブログ見返して、この人のチャンネル動画見たら登録者数めっちゃ増えてる!w(12.1万人…) すげー!おめでとうございます!よかったっすね…
しかしハンドルネームが微妙だな!何でペガサスなんだろか?ハイドはわかる?聖闘士星矢が好きとか?
dic.nicovideo.jpどうもカースト底辺の者です…w
25才新人漫画家vs51才ベテラン漫画家】僕が25才の時に描いた漫画原稿を51才の僕が評価してみた •2020/10/31
www.youtube.com普通に漫画面白いな…すげー…
宮崎駿さんだっけ?飛んでる実物の鳥を見て、飛び方がおかしいつってたのって…(記憶違いかもしれない)アニメ脳…(ゲーム脳みたいな…w)
漫画映え、アニメ映え、映画映えする絵、写像とリアル、実物の機能する動きって違うのかもしれないですね…差異がある。
しかし現代ヤンキー漫画って絶滅危惧種?じゃないか?
ヤンキーやるのにもお金がかかるもんなぁ…金が要る。
今リアルでヤンキーいたら隠し撮り(盗撮)されてネットでさらされそう…別の意味での自粛警察…w
そして実物の警察官も仕事が無くなって無辜の民からネズミ捕りとかして点数を稼ぎそう。元ヤンの警察官とか結構な数いるだろうと邪推する。
オタクでもヤンキーより陽気でコミュ力あって世渡り上手い人とか結構いるんじゃないか?
まとめサイトから引っ張ってきた…
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1339457041216073732/pu/vid/720x1280/D2jgDbhbmCucopyy.mp4
【鬼滅の刃】上弦の参・猗窩座 - テイラー展開|Akaza - Taylor Series | Demon Slayer: Kimetsu No Yaiba
鬼滅の刃…w これどこの大学かね?九大か…w ユニークな大学だ…
九州芸術工科大学も僕は推薦で行こうか?って書いてたなぁ…(校風が合わなさそうで止めたって書いたと思ふ…)九州大学に合併されて悲しいて書いてたサイトがあったっけ。
見え過ぎると見えない?は見方が変わるだけで価値観がガッツリ変わる。
こういう変わる体験を自己啓発セミナー、ブラック企業、カルト宗教で利用されたらたまらんね。
甲野善紀&小池弘人「武術と医術」ℙ90にピダハンの価値観が書いてあった。
「一以外数を数える数詞も、右も左もそれに相当する言葉がない」
「ピダハン:ブラジルアマゾンの少数民族。ピダハンの言語体系には数、色を示す語彙が無く、過去や未来の表現が存在しない。言語人類学者ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン』でその実態が紹介された」
文字が読めない、と現実をどう認識するのかなぁ…
猿?みたいに人間が見る文字は文字じゃなくて、絵的?に認識してるのかもしれない…文字を写真的に認識する(本「『他人』の壁」のℙ177に猿はカメラアイって書いてる)
100年カレンダーで自殺した人はこれ見たらケロッと良く成りそう…w 数霊。
西暦に?価値観があると固く信じてる人ほどこういう(ネパールのカレンダー)のにひっかかりそう…俺はフックに刺さった…w
一神教?原理主義って主柱、根幹を崩されたら意外にも脆そうな印象を持つ。
一個の物差ししかないってのは強みでもあり弱みでもある(1個っていう”制約””束縛”から来るキツさで論理が育った?)
今の日本人は思考的には一神教なのかなぁ…これしか許さないっていう価値観。
多様性を潰す潔癖症的な価値観。
緩さが無い。寛容じゃない。
僕は結構イイカゲンと云うか確固たるポリシーも信念も無い。
僕は人間を導くために生まれてきたわけじゃないと昔、学生時代から思ってた(だから歴史とか嘘と思って真剣にやらなかった。だから歴史は本当に無知でわからん)
歴史がわからんって、ビジネスでもゲームのプレイヤーになれてもルールを知らないからカモられて終わるプレイヤーになるしかないという弱点がある(何という実利主義的な考えだ事…w)
だから俺は勝てるプレイヤーにはなれない。
仲間に入れてもらえない。
”日本人だったら知っておくべき事”ってのがわからない。
そういう事を学校で教わった記憶が無い(忘れてるだけか?)
ただ中学の社会科?の先生は共産党系っぽかったのは覚えてる。
ただ歴史より時代性って言うんだったら僕は好きですよ。
慣習とか風習とか、そういうのは興味あるけど…
音楽の授業、テストで紙にベートーヴェンとか書いて点数貰ってもベートヴェンの良さは少しも伝わらないんと一緒。
味わいたいんだよ!こっちは!っていう…
知的でも視覚的なモノと聴覚、味覚、触覚、嗅覚とそれぞれ関係性を持ち機能が働くなら、一部分だけちぎって表しても意味は伝わらんのではないか?
学校教育って感覚が偏るような事ばっかしてる気もする…
もう教育論とかそういうのは語らん(素人なので)
ブログは出来れば理路騒然とした整った文章を書きたくもあるけど、部分だけ切って張ってってやるのは面倒なのと、今の気分的にメモ帳で箇条書きで無理やりつなげて書く方が自分にはわかりやすい?(しかし過去の記事を見たら理解に時間がかかるという矛盾…w)
これだけ続けて文章を、日記書くってのは人生で初ですね…
日記は続かなかった。
本当はTwitterの方が僕の書くスタイルとは相性が良い。
しかしTwitterは趣味優先のにしたいから止めてる。
代わりにブログを使ってる感覚。
ただブログは書く時にギアが重くなるからそれは嫌かなぁ…
せっかく多くの時間まとめサイトとか見てただ面白いで終わるのは時間が無駄になってる気がするので、何かしらアウトプットして出したい。
自分なりの解釈?もつけて。
どうでもいい事がすっげー面白かったりするから。
そういうのを僕は大事にしてる。