今思えば学生時代はやる事が決められてたから考えずにただ流れ(社会世間)に乗ってればよかった。
今は流れ(社会世間)に乗れてなくて(社会不適合)自主的に動かないと動けない。
この自主的に動くってのが難しい。
大学時代は楽しく自由を謳歌してたけども…精神科行き始めたのもこの時期からだし。
まだこの時は世間教、日本教に影響受けてた時代。
僕個人は自由って言葉がいまいち意味が飲み込めなくて(自由は解放って意味でとらえてると思う)あんまし使いたくない。
昔の自分は今の自分と全く別人なんで、そこが予想外だった。
自己同一性、自分は変わらないって思ったらかなり変わってた。
自分が変わったら好み、趣味嗜好も変わるから…
なかなか難儀。
昔はあれほど弾いてたギターも今やほとんど弾いてない。
昔は全く読まなかった活字は、今や中毒っていうくらい読んでる。
変わらない自分なんて無いんだなって思ったな。
斎藤環さんが言ってたイタリアのことわざ、「変われば変わるほど自分が変わらない」って言葉は俺には当てはまらない。
養老孟司さんの本のタイトル「希望とは自分が変わる事」は至言だと思う。
喜怒哀楽、価値観なんてコロコロ変わっていく。
ブログ書くのも昔の記憶があるうちに残しておきたいからってのもあるし…
もう忘れてしまって書けない事がたくさんあると思う。
転勤族時代の事も、幼い時の事ももう覚えてないから書けない。
何かまとめサイトで今Google検索でゴミ情報?が多いって書いてたけど、そりゃそうなる。
養老さんがデジタルなんて吹けば飛ぶ様なモノって言ってた。
養老さんいちいち適格だからすごいわ…w(かなり俺影響受けてるわ)
自分の事はネットに情報は無いからね…
日記とかつけてれば違うけど。
転勤族だと重いモノは買いにくい。
ああ、でも逆に今はデータ残してれば自分の記録取れるんだな。
これはこれで恐ろしい気もする…
これだと「希望とは自分が変わる事」に至れるのだろうか?
ずっと変わらないってのは中々にキツイ。
年取って良かったなって思ったのは変化の兆しを実感できたことだな。
人間の認知の変化、世間の変化ってこういう風に変えるんだって。
養老さんは戦中と戦後、教科書の墨塗の事話してたな。
他にもこれはすごいこと思い付いたって事あったけど、忘れたな…w
思い出したら書こう。