今日、イオンのムラヤマレコード、街の大谷楽器、島村楽器、に行った。
ムラヤマレコードは2月末に閉店すると店の人と話して知った。
岡聡志さんの本を買って行った(本が10%OFFて書いてたんで)
街の大谷楽器、島村楽器、は3COINSの化粧ブラシ、コンパクトチークブラシをお土産に渡しに行ったけどこれは渡しに行かんでよかったなて思った。
大谷さんはもう既にダイソーの渡してたからなぁ…ただもう渡したやつは販売終了になってたんでまだ売ってる3COINSのやつを渡しに行った。
これは現行品で売ってるから今買える。
この情報のやり取りって難しいよな…相手も断り辛いしね…良いものは相手と共有したいが、相手が欲しいなら上げればいいけどそもそも論そういう土台で俺はやって無かったからなぁ…お土産っていうから。
島村楽器の方は要らんって言われたから持って帰った。
ここはお土産関係無く元々丁寧な塩対応なのはわかってたから良いす…w
デジマートの紹介ページも更新して無かったらしいし…
しかし相手に贈り物を上げるのを考えるのはかなり難しい。
コミュ力あげる訓練になる。
まぁ俺はコミュ力を上げようとかは思ってない…w
そもそも論コミュ力って何だ?て話。
コミュ力はここに書いてるからいいや…w
南直哉和尚の「苦しくて切ないすべての人たちへ (新潮新書 1037)」のAmazonレビューで書いてたように、
『
「思いも寄らない苦境に陥った人々に対しても、「自己責任」や「自己決定」を言い募る、イイ歳をした大馬鹿者がいる。彼らの頭の中身は、昂進する自意識にのぼせた思春期の連中と変わらない」
要は人間が出来ていないということだが、こうした問題意識はむろん、仏教の思想に裏付けられている。
「これ(「自業自得」)を簡単に他人に向けて言う人は、私の経験ではほぼ例外なく、「業」の自覚が絶望的に浅い。ということは、大した「自得」もない。その上、他人の「行い(業)」を云々することに傍若無人なほど熱心である。他人を簡単に責めるのは、未熟な者の最もわかりやすい特徴の一つだ」
このように仏教は本来、自己のあり様を反省的に見つめるための思考の枠組みである。そうした前提からすると、昨今流行りの「コミュ力」といった言葉も、生まれつきの対人能力ではなく、度重なる経験と自省の結果として理解される。
「「コミュ力」なとど言い出すのは、意思疎通での失敗を過剰に恐れる連中か世代が、この困難を「能力」の問題に矮小化しているのだろう。くりかえすが、これは能力の問題ではない。失敗と反省の量の問題である」
』
なるほどと、コミュ力てそういう事なんですね。
失敗と反省の量の問題。
圧倒的に俺に足らんわ…w
そもそも他人と会わないからなぁ…コミュ力もクソも無い…w
でも行動する事は勉強に成る。
まとめサイトのこれは参考に成った。
やっぱり行動すると元気に成るんだな…悲しいから泣くのではなく泣くから悲しいのだってやつ(認知行動療法)
失敗したら記録して改めると。
今日は失敗したけど勉強に成りました。