昨日からイヤホンで曲(J-POP)をじっくり聞いてるけどちゃんとした曲は楽器の住み分けが出来ててちゃんと意味、意志がある配置(曲の魅力が最大発揮)に成ってる。
聞いてて美味しいモノを耳で食べてる感覚に成ってる。
良い音聞くとお腹、身体が満たされる(良い音楽聞いてたら食事は要らんくらい満足)
僕も経験あるけどギター弾いてて右手、左手の感覚がある種の導きに引かれて動いてる感覚になる。
忘我ってやつかな?
身体が飛んだ時に重力がゼロになる感じ。
力が出せる時は重力がゼロに成ってスコーン!と行く。
力が要らない(慣性ってやつかな?分らん…)
逆に力み過ぎて運びがぎこちない時は、力の導き方がどこおかしい。
音楽って目に見えない。
眼に見えない力をどう扱うか?
振動を力って言っていいのか?わからんけど、機材をどういう風に力を運ぶか?それと関連付けて曲をどう表現するか?景色、イメージを見せるか?が問われる。
知的なのと感覚も大事という中々に奥が深い領域だと思う。
まさに文武両道。
ここ最近洗濯機買い替えて、さっき妹に聞いたら炊飯器も買い換えたらしい…w
次はドライヤーつってた。
家電はまとめて買ってるから壊れる時も同期しやすい。
最近の戦争、円安、ビッグモーター問題といい、日本の倫理観、美意識、自己評価をどうするか?ってのは問われてると思う。
それにこたえるなら良いモノに触れるってのはすごい大事。
自己評価を下げちゃいけないのはいいモノがあっても認知的な盲点で観えなくなるから。
自己肯定感が下がってるのは‥昨日の若者本読まないの愚痴とかね…
まずは世間がいいと評するモノに触れるのもいいけど、僕はそっちからのアプローチで引っかからなかった(騙し、フェイク、ひっかけ、擬態してるやつもあるから)
自分の感覚優先でいいと思ったモノを時間かけて恐る恐る用心深く触っていった感じ。
音楽って生活っていう土台があって成り立つところがあるから生活が豊かじゃないとなかなか味わえない。
ギタリストあるあるだと思うけど速弾き、シュレッダー、技術至上主義でドン詰まる人が結構いる。
あくまでも多くある楽器の一つっていう認識が抜けてる。
適材適所でそれぞれ役割があるってのを忘れてる。
これは社会にも言えるよね。
色んな職業があって世界、社会は成り立つ。
AI(人工知能)で相対化が出来たら色んな価値観がでて視野が広げられればいいけど…ここら辺はどこまでAIに預けていいか?配分操作が出来るか?今の人類には手に余りそうである。
便利が過ぎて必要に成り必要が権力に成って個人が抗えなくなる。
ジョジョの5部だっけ?キングクリムゾンの過程を飛ばし結果だけ享受する。
結果だけじゃダメ。
どういう過程で世界が成り立つか?人間と伴走してくれるAIがあればいいなぁ、って思う。
ただそれやられると民衆が覚醒しちゃうから権力者側はやらんだろうなって思う。
何か話の筋が逸れてる気もするけど、箇条書き、勢いで書いたから勘弁してください…w